「死ぬまでに全駅」 駅索引

2015/06/08

「死ぬまでに全駅」(105) #0429 矢向駅


#0429 東日本旅客鉄道 南武線 矢向(やこう)駅
尻手|鹿島田
【所在地】横浜市鶴見区
【開業】1927(昭和2)年
【乗車人員(日)】17,726人
 
川崎から2駅目。
南武線では唯一、横浜市に所在する。
駅の一部は川崎市幸区にはみ出ている。
  
駅舎と駅前のようす。
とても狭いが、バスも乗り入れてくる。
 
改札口は1ヶ所。
電留線が幅を取っているため、
線路の逆側には出入口はない。
 
一日の乗車人員は17,726人。
始発~6時半までは駅員不在。
 
エレベーターも2011年に設置されたが、
改札と上り川崎方面ホームは
跨線橋で結ばれる。
 
跨線橋は川崎方ホーム端に
設置されている。
 
ホームは2面3線。
こちら1番線立川方面、
向かいが2,3番線川崎方面。
 
1927年、南武鉄道開業時からの駅。
1944年国有化、南武線となって
現在に至る。
 
3番線。
電留線があり、電車が留置されている。
当駅始発の電車はこの3番線を使用する。
また、構内には矢向車掌区があり、
当駅で車掌の交代がおこなわれる。
 
2番線から川崎方面を撮影。
快速電車は通過する。
 
2番線ホーム端から川崎方面を撮影。
背後に歩行者用の緑の跨線橋が続く。
踏切もあるが、交通量は非常に多い。
 
1番線ホーム端より立川方面を撮影。
古くからの工場地帯だが、
近年移転や転用で更地になったところへ
高層マンションが立ち並ぶ。
この先溝ノ口までそんな風景が続く。
 
 
撮影日:2014/6/22





南武線支線・矢向~川崎河岸(1972年廃止)

かつて当駅から分岐する貨物線が存在した。

多摩川べりの川崎河岸駅までの1.7km。
現在は緑道などになっている。
 
川崎河岸駅は矢向駅とともに1927年に設置、
東京製鋼が1969年に工場を閉鎖したのを機に
1972年に廃止された。
もともとは砂利の運搬が目的だった。
 
戦雲急になると、周辺の工場は軍需へ転換され、
東京製鋼はこの貨物線からさらに専用線を引き、
物資輸送に使用した。
写真は沿線にある池貝鉄工の「工業報国」碑。
このときはもう工場は売却されていた。
 
川崎河岸駅は多摩川べりの船溜まりまで伸び、
水運と連絡していた。
いまは高層マンションが立ち並ぶ。

 
上記写真5点-撮影日:2003/1/2

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