「死ぬまでに全駅」 駅索引

2015/10/30

シヌゼン各駅紹介(168) 1001-1500駅レビュー 第1位

#1499 東武鉄道 小泉線 西小泉(にしこいずみ)
小泉町|
【所在地】群馬県邑楽郡大泉町
【開業】1941(昭和16)年
【乗車人員(日)】1,398人
1001-1500駅レビュー 第1位

<選定理由>
「太平洋戦争開戦直前に開業、
かつての一大軍需工場の玄関駅も
いまはブラジリアンタウンの代表駅。
そのギャップに深く興味そそられる終着駅」
 
群馬県大泉町に所在する
東武鉄道小泉線の駅。終着駅である。
登録#1499。「ラス前」のこのローカル駅が
最後の最後にあらわれて土合を
1位の座から引きずりおろした。
 
駅の遠景。
終着駅の雰囲気満点。
開業は1941年12月1日。
太平洋戦争開戦1週間前。
 
現在は三洋電機の工場になっているが、
かつてその場所は「中島飛行機」という
軍用機製造会社の工場で、
最盛期には7万人近くがそこで働いていた。
当駅は同工場の工員および貨物の
輸送のため設置された。
 
開業時からの駅舎が今も現役。
開業当初は仙石河岸線という
貨物線の駅だった。
駅舎内、ホームはのち紹介する。
 
駅前のようす。
バスが乗り入れ、タクシー会社の
事務所がある。
駅名は「小泉」だが、町名は「大泉」。
これは1957年に小泉町と大川村が
合併した経緯による。
 
線路はもうないが、
仙石河岸線跡の空地が残る。
本来は利根川の砂利を運搬する目的で
川岸まで線路が引かれていた。

かつての仙石河岸線である緑道が続く。
戦時中には利根川を渡り熊谷へ
延伸予定だったが、終戦で中止。
熊谷側は妻沼まで開通し、
東武熊谷線となったが、1983年廃止。
 
さて大泉町は町内の人口4万の
15%近くが外国人で、
とくに日系ブラジル人の方々が多く暮らす。
「日本のブラジル」と言われ、
町も積極的にPR活動を行っている。
町は専属のサンバチームまで持っている。

だから精算所の上にもポルトガル語。
中華街とかも中国人の方が
たくさんいるのだろうが、
観光地であって、自然じゃない。
ここは日常ありのままがブラジル。

   
これは「防犯カメラ監視中」とでも
書かれているんだろうか。
 
駅の案内コーナーの一角にあるチラシ。
祖国を遠く離れても、仲間と一緒ってのは
心強いだろうなあ。
これは記念にもらっておけばよかった。

駅前を抜けて県道142号に出る。
三洋電機の工場はこの先左折。
左の建物は交番。でかいな(笑)
 
ポルトガル語のみの看板の立つ、
平屋の商業ビル。
何屋さんなのかわからないが、運送会社?
町のいたるところがこの調子。
 
もはや何が売っているのかわからない。
でも貝割大根は日本語で10円と(笑)
外国人住民のほとんどが町内の工場に勤務。
前出の三洋電機や、富士重工など。
 
駅に戻ろう。
改札口にはICカード読取機。
一日の乗降人員は平均1,398人。
 
ひとたび駅構内に踏み入れば、
そこは戦前戦中の雰囲気を
色濃く残すたたずまい。
さすがは中島の工場の玄関駅。

上屋も古レールなんかじゃない。
頑丈で丁寧で、さらに荘厳な造り。

ホームは頭端式1面2線。
西側に古いホームが残る。

構内を渡る踏切板?も朽ちつつ残る。
 
こちらが1番線、
電車が留置されているのが2番線。
 
上屋の両サイドが跳ね上がって
屋根部分が延長されている。
当時からのものであれば、
やはり別格の配慮がなされていたと
推察するがどうか。
 
太田方面に向かって撮影。
小泉線は全線が単線。

中島飛行機小泉製作所は
1945年の2月と4月に空襲を受け、
壊滅的被害を蒙ったが、
駅舎は今もこうして無事に利用されている。
そしてかつての軍需工場の町は
外国人労働者に支えられ、
活気に、そして陽気に満ち溢れている。

毎年9月に行われる町内のお祭り
「大泉カルナバル」は、サンバコンテストや
ブラジル料理の屋台などで盛り上がる。
開催場所はかつて中島飛行機のあった、
三洋電機工場内の野球場である。


 


 
撮影日:2015/10/11

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