「死ぬまでに全駅」 駅索引

2017/03/03

「死ぬまでに全駅」(300) #1432 中書島駅

#1432 中書島(ちゅうしょじま)

・京阪電気鉄道 京阪本線
 淀|伏見桃山
・京阪電気鉄道 宇治線
 |観月橋
【区分】丙II 【撮影日】2015/8/15
【所在地】京都市伏見区
【開業】1910(明治43)年
【乗車人員(日)】5,553人


京都市伏見区に所在。
京阪電鉄京阪本線の駅で、
宇治線が分岐する。


後述するが、1970年まで
京都市電が当駅に発着しており、
駅の脇の石畳の歩道が
かつてホーム、線路のあった辺り。


「中書島」とは、ざっくり言うと
「中書」という偉い人が島のような
川の中州に屋敷を建て住んでいたのが由来。
伏見は京都市南部屈指の観光スポットで、
駅の近傍に坂本龍馬の常宿で
「寺田屋事件」で著名な船宿寺田屋跡が。
また、水が清らかだったことから
日本酒の蔵元が多く、名産品のひとつ。


北口の駅前のようす。
市電は進入禁止の標識の道を抜けて
写真右の石畳の歩道へと
線路が続いていた。


北口改札。
一日の乗車人員は5,553人。
う~ん、そんなものか。


改札内から撮影。
瓦屋根をさらに屋根で覆う。
・・・おもしろいね。


かわって南口のようす。
2004年開設のバス発着場がある。
滋賀にある立命館大学、龍谷大学の
キャンパス行きのバスも出ている。
近くないだろ(笑)
北口には隣接してバス停はない。


南口の駅舎。
4番線ホーム淀屋橋方の突端に
改札があり、やや不便か。


北口改札はほぼ地平にあるが、
南口へは階段を上がる。
エレベーターも併設。


南口改札。
抜けると4番線に出る。


ホームは3面4線。
半径の小さなカーブを描く。


1番線は京阪本線上り出町柳方面。
やや淀屋橋寄りから出町柳方向を撮影。
京都に向かうほうが上りか。
まあそうだよな。


おなじく1番線を改札付近から
淀屋橋方向を撮影。
連絡跨線橋の階段が見える。


1番線にある和風の待合室。
ここにも龍馬さんが(笑)。


2番線は京阪本線の下り淀屋橋方面。
3番線とともに島式のホームとなっている。
出町柳方ホーム端近くから
淀屋橋方向を撮影。


同じく2番線から。
ホーム中央付近から出町柳方向。
エレベーターは1996年に設置された。


3番線は宇治線の電車が発着。
2番線下り電車との乗り換えが
スムーズで便利。


左右に1,4番線を見て
2,3番線淀屋橋方から
出町柳方向を撮影。


各ホームへの連絡は
1960年代にできたこの地下道か、


エレベーター、エスカレーターを備えた
構内の跨線橋で。


4番線はいちおう宇治線ホーム。
しかし電車は1日1本か2本のみ
入線するきり。


本来は宇治線と本線の直通電車用だったが、
運転を廃止したため、
いまは南口改札の利用客専用の感がある。


その南口改札を3番線から撮影。


2,3番線ホーム端から
本線の出町柳方面を撮影。

3社4線が密集して入り組み、
当駅半径1km以内に駅が5つもある。


こちらは宇治線の宇治方面。
電留線が2本設けられている。
中央手前は本線と合流するポイント。


2番線ホーム端から
淀屋橋方面を撮影。
ガードの下は府道115号で、
駅前から府立伏見港公園へ続く。


1947
USA-M205-A-8-54を加工)
中央下に見えるのが伏見港。
桃山時代に秀吉により設けられ、
大坂、京都を結ぶ河川交通の要衝となる。
昭和に入っても一定の需要があったが、
戦後は使用されなくなり、その生涯を閉じた。
赤点線は戦中に計画され、
戦後に工事の行われた港への貨物線。
実際使用されることなく廃線となる。
緑の点線は
京都市電伏見線のルートをあらわしている。


1974
CKK7414-C19-74を加工)
1967年、伏見港は公園として整備される。
この当時は何だかそっけない感じだが
その後も整備が続けられ、
今では美しい歴史公園となっている。
最下部のgoogleマップでご確認を。
市街地は古くからの民家が多く、
今の写真を見てもそう大差はないようだ。


北口に立つ京都市電についての案内板。







0 件のコメント:

コメントを投稿