「死ぬまでに全駅」 駅索引

2017/10/11

シヌゼン各駅紹介(352) 1501-2000駅レビュー 第7位

#1911 柘植(つげ)

・西日本旅客鉄道 関西本線
 加太|新堂
・西日本旅客鉄道 草津線
油日
【区分】戊II 【撮影日】2017/4/9
【所在地】三重県伊賀市
【開業】1890(明治23)年
【乗車人員(日)】339人


1501-2000駅レビュー 第7位

<選定理由>
「忍者の里にある、
加太越えの補機が屯したかつての要衝駅。
いまもその雰囲気を存分に湛え
鉄道ファンを魅了する。」

三重県伊賀市にある、
JR関西本線の駅で、草津線が分岐する。
よく「たくしょく」と誤読される。
「たく」はキヘンじゃなくテヘンな。

木津方面から駅の方向。
鈴鹿山脈の南の麓に位置する。

趣きのある瓦屋根の駅舎。
いつ建てられたものかはわからない。
微妙に車寄せのスペースもある。

駅前のようす。
駅周辺には意外にも工場が多い。
当駅の設置は1890年。
関西鉄道が三雲から当駅までの路線、
現在の草津線の一部を開業。
同年、鈴鹿越えで四日市まで路線を延ばす。

伊賀市は2004年に
周辺市町村が合併して誕生。
それまでの駅の所在地は阿山郡伊賀町。
現在の市の中心は旧上野市。
芭蕉の生誕地がこの柘植とのこと。

改札口。
一日の乗車人員は339人。
当駅から先が大阪近郊区間。
来年にはICOCAが使用可能に。

スロープ状のホーム改札前。
バリアフリー工事か、
それともホームの嵩上げ時に
この形状となったか。
なお朝と夜には駅員不在となる。

ホームは2面3線。
1,2番線の間に中線を持ち、
3番線の北側には留置線が複数。
堂々たる往年の地方主要駅の構え。

1番線は所属線である
関西本線の列車が使用する。
ご覧の通り
このホームにだけ架線がない。

1番線の上屋は駅開業間もない頃の
写真にも写っている。
木造で今も現役だが
道路側に駅舎を建て増ししたようだ。

列車交換をおこなう
1,2番線の関西本線の気動車。
あの、
そこで何してるんでしょうか・・・(笑)

1番線木津側ホーム端には
開業当時からの煉瓦作りの危険品庫が残る。
入口がシャッターなのは見逃そう(笑)

財産票も本当は各駅、
よく調べたいところなんだけど、
まあ忘れるね(笑)

2,3番線には跨線橋で連絡。
3番線には草津線の
緑一色の電車が入線している。

伊賀といえば忍者。
駅テツとしてはあまり
イジってほしくないような気もするが、
まあいいじゃない面白くて。

跨線橋のようす。
鉄骨木造、でも窓はサッシ。

忍者、親切だね(笑)
この2つ前に同じ忍者の里、
滋賀県・甲賀駅を取材したが、
そこはこんなもんじゃなかった。
負けてるぞ伊賀者(笑)
いずれ紹介できれば。

2,3番線へ降りる跨線橋の階段。
甲賀の忍者が主君に忠実なのに対し、
伊賀の忍者はいわば傭兵で、
報酬さえもらえれば対峙する両軍へ
戦力を派遣したとのこと。

右が2番線亀山方面上り、
左3番線草津線草津方面。

2番線木津側の跨線橋下から
駅舎と亀山方向を撮影。
この先いわゆる「加太越え」で
蒸機の時代は補機を当駅で連結開放した。
その名残りの中線を間に挟む。

同じく2番線中ほどから木津方向。
亀山~当駅~加茂間は全列車が区間運転。
この間を利用する乗客は
関西本線全線で見た場合、
距離の違いもあるが加茂から西の約4%
亀山から東のわずか2%程度しかない。
そしてこの区間のみが非電化。

3番線は草津線ホーム。
関西鉄道のルーツとなる路線で、
官営鉄道が名古屋~京都間は
山越えを外して敷設されたのに対し、
旧東海道に沿って線路を敷いた。

3番線北側には留置線がある。
かつて加太越えの補機の機関庫を擁した
関西鉄道の要衝の駅だった名残りでもある。

2,3番線にある待合室。
なぜこんなに広いのか。
補機の機回しで停車時間も
長かったことだろうし、冬は雪も降る。
そんな理由からだろうか。

2,3番線ホーム端から木津方面。
この先にかつて機関庫があり、
さらに先に転車台があった。
転車台は今も朽ち果てて
草むらの中に残っている。

3番線から亀山方面。
鈴鹿山脈が立ちはだかり、
往時の機関士達の労苦が偲ばれる。

関西本線は日露戦役後の買収国有化以降、
名阪連絡の「裏通り」的な扱いで
ワキ役に徹してきたが、
かつては気動車特急や
東京発の夜行急行も運行されていた。
いまや鉄道自体がワキ役。
しかし往年の主要駅の雰囲気を存分に残し、
頑固じじいのように今日もそこにある。





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