「死ぬまでに全駅」 駅索引

2015/02/27

「死ぬまでに全駅」(48) #0751 由比駅


#0751 東海旅客鉄道 東海道本線 由比(ゆい)駅
蒲原|興津


【所在地】静岡市清水区
【開業】1916(大正5)年
【乗車人員(日)】1,703人

昨年10月、この次の興津駅との間で
土砂崩れが発生し、
東海道線が10日間も不通となった。
 

由比といえば桜えび。
写真左の「由比桜えび通り」の看板は
よく解らぬがエビが結び切りに
しがみついている(笑)
 
 
駅前。
あまり広くはないし、
商店が1,2軒ある以外何もない。
昔は東海道の宿場町。
 
駅舎内スペースはすっきりしていて、
もう少し飾りっ気があってもいいかも。
地元特産品のショーケースが見える。

改札。早朝、夜間は無人となる。
一日の乗車人員は1,703人。
う~ん、ほんとかなあ。
 
ホームは単式が両サイドに1本づつ、
挟まれて島式1面2線で4番線まである。
 通常島式ホームの2,3番線を使用し、
列車の待避に1,4番を使用。

わずかな平地を
日本の大動脈が糾(あざな)うように
集結し走っている。
好きな駅、というか、好きな場所のひとつ。

海側を東名、国道1号が走り、
車はいやというほど走っているが、
人間の姿はまばらだ(笑)
 
静岡方面。
うなぎの寝床のような狭い平地を
東名、国道、東海道線が密集して
走っており、今回の災害は
この「ボトルネック」を直撃した。
 
熱海方面。
富士山がちょこんと頭を出している。
また今度は桜えび丼でも食いにいくか。
 
 



撮影日;2014/3/21

2015/02/26

「死ぬまでに全駅」(47) #0010 久里浜駅


#0010 東日本旅客鉄道 横須賀線 久里浜(くりはま)駅
衣笠|


【所在地】神奈川県横須賀市
【開業】1944(昭和19)年
【乗車人員(日)】7,127人

※Facebookで「機会があればもう一度訪れてみたい駅」を選出する
「死ぬまでに全駅1-500駅レビュー」で選出された10駅のうちのひとつ。


横須賀線の終着駅。
すぐ隣りに京急の久里浜駅があり、
「終着駅」とするにはやや憚りがあるが、
雰囲気はそれそのものである。
 
開業当時の駅舎をいまも使用する。
1944年、戦争が激化するなか開業。
久里浜には海軍の軍需部倉庫などがあり、
軍事物資運搬を主目的に
横須賀から延伸した。
 
初夏。ポピーの花畑が見事。
まちの中枢はすべて京急駅の周辺に集中し、
以前は「荒(すさ)んだ」という言葉を
使ってもいいくらい、マイナスのオーラを
放っていた時期もあった。
 
木造であることがわかる。
二階建てのように見えるが、
天井が高い平屋。
 
一日の乗車人員7,127人。
京急が21,617人なので、三倍の違いがある。
 
久里浜~横浜間は50分以上を要するが、
京急久里浜~横浜は30分ちょっと。
運賃も安いとあれば勝負は明らか。
 
最近新しい跨線橋ができた。
エスカレーターつき。
 
役目を終えた旧跨線橋。
発着する電車はE217系。
逗子以南の駅は11両編成までしか
対応しておらず、15連の電車は逗子で
付属編成を切り離す。

駅構内は広々。
電留線が多数引かれている。
もとは国府津機関区の支社だった。

現在跡地は訓練センターとされ、
珍しい車両が置いてあったりする。
 
横須賀方を撮影。
長大編成の通勤電車は
この風景に溶け込みにくい。

終点側。駅を過ぎてもしばらく線路が続く。
電留線に入るにはいったん頭を終点側に
突っ込み、方向転換する。
途中踏切があり、運転士が移動する間
踏切で電車が立ち往生する光景が見られる。
 
かつて久里浜駅手前から線路が分岐し、
海軍軍需部倉庫へ引込み線が延びていた。
そこが最終目的地だった。
いまその場所は「くりはま花の国」となって
市民の憩いの場所になっている。
 

撮影日;2012/5/27
(最下部のもののみ2002/4/13)




2015/02/25

「死ぬまでに全駅」(46) #1181 用宗駅


#1181 東海旅客鉄道 東海道本線 用宗(もちむね)駅
安倍川|焼津


【所在地】静岡市駿河区
【開業】1909(明治42)年
【乗車人員(日)】1,534人

駅背後の山に「持船城」というお城が
あったのが地名の由来という。
漁港のまちである。
 
駅舎は古いものだがかなり手が加えられていて
建築当時の面影はもうない。
 
駅前の様子。
信号のある交差点で用宗街道に出る。
用宗街道は大崩海岸沿いに焼津へ至る道で、
途中、海の上へ出た橋を通ったりして
切り立った崖ばかりの難所を越える。
 
7:00-19:00の間だけ駅員が業務をおこなっている。
 
2面3線のホーム。
駅舎側の1番線は下りホームになるが、
多くの電車は2番線(下り)、
3番線(上り)を使用する。
 
奥に見えるエレベーターは
この1ヶ月前に完成したばかり。
 
側線が一本見える。
保線車両が使用するようだ。
 
ホームが嵩上げされているのがよくわかる。
開業は1909年と、わりと後発の駅だが、
煉瓦部分は当時のものだろう。
 
浜松方面を撮影。
この先石部トンネルを抜けて
焼津市内に入る。
新幹線が並走する。
 
静岡方面を撮影。
上り電車が駅を離れる。
逆光ばかりでスマソ。
 





撮影日;2015/1/4

2015/02/24

「死ぬまでに全駅」(45) #0497 上星川駅


#0497 相模鉄道 本線 上星川(かみほしかわ)駅
和田町西谷


【所在地】横浜市保土ケ谷区
【開業】1926(大正15)年
【駅名変遷】星川(1933)
【乗車人員(日)】12,760人

かつては当駅が「星川」を名乗り、
現在の星川駅は「北程ヶ谷」といった。
1933年に現駅名となる。
 
北口。すぐ国道16号に出る。
国道を挟んで高台には新しいマンションが
続々と建ちはじめている。
 
南口。
そうてつローゼンほか大きな商業ビルがある。
南口にはバスは来ず、
帷子川を渡って蔵王神社前交差点まで出る。
 
改札。
一日の乗車人員は12,760人。
改札内のようす。
階段、エレベーターでホームへ下りる。
1972年に現在の橋上駅舎となった。
 
相対式2面2線のホーム。
駅舎は二俣川寄りに
偏って設置されているので、
10両編成対応のホームは
やたら長く感じる。
 
かつては下り線側に待避線があった。
この写真がわかりやすい。

二俣川方面を撮影。
東海道貨物線がオーバークロスする。
騒音対策のため、
防音壁のシールドで完全に覆われ、
列車の姿はまったく見えない。
 
横浜方面を撮影。右は帷子川。
上星川保線区が見える。
 
相鉄本線は横浜を出た直後から鶴ヶ峰まで
帷子川に併行して走る。
きれいな川ではないが、暑かったので
思わず撮影してしまった。




撮影日;2013/7/21

2015/02/23

「死ぬまでに全駅」(44) #0706 相模大塚駅

#0706 相模鉄道 本線 相模大塚(さがみおおつか)駅
大和|さがみ野


【所在地】神奈川県大和市
【開業】1926(大正15)年
【乗車人員(日)】6,759人

米軍厚木基地の最寄駅。
厚木基地は大和、綾瀬両市にまたがっており、
厚木市にはない。
 
南側の出入口。
軍関係の外国人利用客もちらほら見える。
 
当駅は橋上駅舎。
南側出入口の階段とエスカレーター。
 
駅舎は南側にあるが、
北側出口へは跨線橋を渡る。
電留線を跨ぐので長い。
 
北側出入口。
バスも発着するが、駅の表示はない。
 
橋上駅舎の改札前のようす。
改札。液晶サインが設置されている。
一日の乗車人員は6,759人。
 
ホームは島式1面2線。
特急は通過するが、急行停車駅。
 
2番線の北側には電留線が9本。
これを跨ぐ北出口への跨線橋も長い。
 
海老名方面。丹沢山系の山々が正面に見える。
次駅はさがみ野。その手前から厚木基地への
専用線が分岐している。架線が張られているが、
現在は使用していない。
東名を渡る立派な橋まであるのだが・・・。
 
横浜方面。
この先すぐに東名高速があり、橋で跨ぐ。
渡ってすぐに事業者用ホームがあり、
かつては厚木基地へ燃料を運ぶための
貨物列車が使用していた。
また戦時中は高座海軍工廠への引込み線も
この駅付近から分岐していた。
戦後70年経っても軍隊とは腐れ縁の仲だ。
 



撮影日;2013/12/29