「死ぬまでに全駅」 駅索引

2015/10/14

登録駅紹介・・・2015/10/11


#1486 東武鉄道 桐生線 新桐生(しんきりゅう)駅
市街中心部とは渡良瀬川を隔て、山の上のやや不便な位置にあるが、コミュニティバス「おりひめバス」は数系統が発着する。桐生線の単独駅では最も乗降客が多いが、それでも一日2,400人ほど。駅舎は1988年に改築でステンドグラスが特徴。夜着、早朝発でこんな写真しか撮れず(笑)

#1487 東武鉄道 桐生線 阿左美(あざみ)駅
1954年、拡張工事中に縄文時代の住居跡が発見される。ホームからは特製の小屋で覆われた遺跡をガラス越しに見学できる。すぐ隣に小学校があったが、社会科の授業のネタには困らないであろう(笑)

#1488 東武鉄道 桐生線 藪塚(やぶづか)駅
奈良時代の名僧・行基が発見したという藪塚温泉の最寄駅。温泉街にはジャパンスネークセンターというヘビの動物園もある。赤城行きの特急の停車駅。

#1489 東武鉄道 桐生線 治良門橋(じろえんばし)駅
江戸時代に用水に橋を架けた人物の名前に由来する難読駅。駅の北には住宅地が広がり、ちょっとしたニュータウンの印象だが、基本的には農耕地ばかり。

#1490 東武鉄道 桐生線 三枚橋(さんまいばし)駅
治良門橋と同じ人物(天笠治良右衛門)が、頻繁に洪水に見舞われる3本の川や堀に橋を架けたのが駅名の由来。駅に名を残す江戸時代のスーパーヒーローだねぇこの人(笑)。

#1491 東武鉄道 伊勢崎線 太田(おおた)駅
人口21.9万の工業都市の代表駅。かつての中島飛行機のお膝元で、貴賓室つき2階建ての2代目駅舎は1941年完成、1945年空襲で喪失。編成の短い小泉線、桐生線の電車はそれぞれ伊勢崎線のホームの端に別の番線を設けて発着しており、ゆえにホームは3本だが、10番線まである。

#1492 東武鉄道 伊勢崎線 剛志(ごうし)駅
鎌倉時代に武士が土着したことで地名が武士(たけし)となり、それが剛志(たけし)となって「ごうし」と呼ばれるようになった。ジャイアン?(笑) 旧駅舎は味のある木造の建物だったが、こんなトイレ駅舎では立派な駅名も泣いている。

#1493 東武鉄道 伊勢崎線 境町(さかいまち)駅
特急「りょうもう」号の停車駅。駅前にはパークアンドライドの駐車場があるが、当駅から特急を利用すれば駐車料金が割引される。市役所の支所や警察署の分庁舎などあり市街地を形成。乗降客も1,000人を超える。

#1493 東武鉄道 伊勢崎線 世良田(せらだ)駅
一日の乗降人員485人は伊勢崎線最少。跨線橋を降り、出口へと右へ向きを変えるといきなりトイレの入口が迫りギョッとする。線路脇の草むらに「徳川家発祥の地」という案内看板が立つ。

#1495 東武鉄道 伊勢崎線 細谷(ほそや)駅
東武の他の多くの小駅同様、構内踏切を廃してホームと駅舎は線路下の地下道を通って連絡する。工業団地や関東学園大、市立太田高などが近く、一日の乗降客は約2,500人。

#1496 東武鉄道 伊勢崎線 木崎(きざき)駅
サッポロビール群馬工場が隣接しており、工場側にも出入口があるが、IC読取機は構内踏切を渡った駅舎内にしかない。かつて利根川まで貨物線の徳川河岸線が当駅から分岐していたが、1968年に廃止された。

#1497 東武鉄道 小泉線 竜舞(りゅうまい)駅
剛志駅以上に立派な駅名だが、見ての通り2両編成の電車が1時間1本やってくる小駅に過ぎない。まだ太田市内だが、広大な富士重工大泉工場に近く、駅自体も市街地にあるが一日の利用客は448人と少ない。

#1498 東武鉄道 小泉線 小泉町(こいずみちょう)駅
1917年に中原鉄道の駅として開業、上武鉄道に社名変更後1937年に買収され東武鉄道の駅となる。1942年から13年間、信号所に格下げされたこともあった。小泉城跡の城之内公園が近い。

#1499 東武鉄道 小泉線 西小泉(にしこいずみ)駅
太平洋戦争開戦一週間前の1941年12月1日開業、中島飛行機小泉製作所の工員を運んだ。現在は三洋電機の工場となっているが、ブラジル、ペルーの日系人が多く勤務する。駅前もブラジル系の商店が居並び、戦時に落成した駅舎との対比が何とも不思議な空気を醸し出す。

#1500 東武鉄道 伊勢崎線 東武動物公園(とうぶどうぶつこうえん)駅
登録1,500駅目(独自集計)となる。杉戸駅として1904年に開業。1981年の東武動物公園開業に伴い現駅名となる。今回の訪問駅ではダントツの乗降者数は3.2万。西口広場は2015年2月に供用開始。それ以前は東武鉄道の杉戸工場が駅に隣接して設置されていた。



 

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