2015/12/02

「死ぬまでに全駅」(182) #0066 能見台駅

#0066 京浜急行電鉄 本線 能見台(のうけんだい)
京急富岡|金沢文庫
【所在地】横浜市金沢区
【開業】1944(昭和19)年
【乗車人員(日)】15,553人
【駅名変遷】谷津坂(1982)
 
横浜市金沢区に所在。
京浜急行本線の駅。
自分が高校生の頃までは
「谷津坂」という駅名だった。
 
駅前のようす。
現駅名は一帯を開発した京急が
西側の丘の上にあった地蔵院「能見堂」に因み、
周辺を「能見台」と名づけたことによる。
  
当駅は戦時中の1944年に開業。
大日本兵器産業の工場の
工員のために設置された。
工場では機銃とその弾丸が製造された。

改札口は1ヶ所。
一日の乗車人員は15,553人。
戦争が終わり、工場も役目を終えると
利用客は大幅に減少。
 
しかし横浜臨海部の宅地開発が進み、
住宅地が駅を中心に広がりを見せると
利用客は増加の一途をたどる。

ホームは2面2線の相対式。
2010年改正からは急行停車駅となる。
特急・快特は通過。
 
1番線浦賀・久里浜方面
向かいは2番線横浜・品川方面。
浦賀方面に向かって撮影。
 
線路は強いカントがつけられ、
特急・快特は無慈悲に高速で通過する。
停車する電車も傾いているので
ホームと電車の隙間が大きい。
 
2番線から横浜方面に向かって撮影。
 
工場は「日兵」から「日平産業」となり、
現在、工場敷地跡にはURのマンション、
イトーヨーカドーが立地する。
痕跡は何も残っておらず、
「日平橋」という陸橋に名を残すのみ。
 
2番線から横浜方面を撮影。
次駅京急富岡のホームの端が見える。
高校野球の名門校、横浜高校がすぐ隣り。

1番線から浦賀方面を撮影。
次駅は金沢文庫。
当駅は1969年に現在の橋上駅舎となったが、
それ以前はこの写真奥のマンションの
下あたりに設置されていた。
そこがかつての「日兵」の工場の
正門下あたりだった。

30年くらい前に壊されたが、
「日兵」の敷地の南のはずれに
巨大な煙突が1本、聳え立っていた。
それはまるで
軍国主義の墓標であるかのように
眉をひそめられ指をさされ
そしていつの間にか消えていた。




撮影日:2012/7/28

2 件のコメント:

三等兵 さんのコメント...

大日本兵器の遺構、一度でいいから
見てみたかったです(笑)

この駅も、ずいぶんと沿線人口が
増えたのですね~
いまや急行停車駅ですものね。

まだ、1枚扉車が主力だった時代に
この駅で1000+700混血12両の
快特や特急が、お客さんをぎっしり詰めて
カントがかったカーブを壮大に通過していく
場面を見て、思わず泣いてしまった時代は
遠い昔になりつつありますね・・・

slycrow96 さんのコメント...

三等兵様
コメントありがとうございます。
実は日平の工場に一度だけ入ったことがあります夏祭りが敷地内であって、それに参加させてもらったんですが、子供の頃だったので建物その他にまったく興味なしで惜しいことをしました(笑)。ただ旧駅舎のあった場所は駐車場になっていてそこから坂を登っていったのはよく覚えています。
700の12両編成はやはり印象深いですね。ブサイクなデザインでしたが、もっと味わっておけばよかったと思います。高松に行って再会する日が来るのを待ちましょう。ただしその時まで走っていればですが。