#1911 柘植(つげ)駅 ・西日本旅客鉄道 関西本線 加太|新堂 ・西日本旅客鉄道 草津線 |油日 |
【区分】戊II 【撮影日】2017/4/9 【所在地】三重県伊賀市 |
【開業】1890(明治23)年 |
【乗車人員(日)】339人 |
1501-2000駅レビュー 第7位
<選定理由>
「忍者の里にある、
加太越えの補機が屯したかつての要衝駅。
いまもその雰囲気を存分に湛え
鉄道ファンを魅了する。」
三重県伊賀市にある、 JR関西本線の駅で、草津線が分岐する。 よく「たくしょく」と誤読される。 「たく」はキヘンじゃなくテヘンな。 |
木津方面から駅の方向。 鈴鹿山脈の南の麓に位置する。 |
趣きのある瓦屋根の駅舎。 いつ建てられたものかはわからない。 微妙に車寄せのスペースもある。 |
駅前のようす。 駅周辺には意外にも工場が多い。 当駅の設置は1890年。 関西鉄道が三雲から当駅までの路線、 現在の草津線の一部を開業。 同年、鈴鹿越えで四日市まで路線を延ばす。 |
伊賀市は2004年に 周辺市町村が合併して誕生。 それまでの駅の所在地は阿山郡伊賀町。 現在の市の中心は旧上野市。 芭蕉の生誕地がこの柘植とのこと。 |
改札口。 一日の乗車人員は339人。 当駅から先が大阪近郊区間。 来年にはICOCAが使用可能に。 |
スロープ状のホーム改札前。 バリアフリー工事か、 それともホームの嵩上げ時に この形状となったか。 なお朝と夜には駅員不在となる。 |
ホームは2面3線。 1,2番線の間に中線を持ち、 3番線の北側には留置線が複数。 堂々たる往年の地方主要駅の構え。 |
1番線は所属線である 関西本線の列車が使用する。 ご覧の通り このホームにだけ架線がない。 |
1番線の上屋は駅開業間もない頃の 写真にも写っている。 木造で今も現役だが 道路側に駅舎を建て増ししたようだ。 |
列車交換をおこなう 1,2番線の関西本線の気動車。 あの、 そこで何してるんでしょうか・・・(笑) |
1番線木津側ホーム端には 開業当時からの煉瓦作りの危険品庫が残る。 入口がシャッターなのは見逃そう(笑) |
財産票も本当は各駅、 よく調べたいところなんだけど、 まあ忘れるね(笑) |
2,3番線には跨線橋で連絡。 3番線には草津線の 緑一色の電車が入線している。 |
伊賀といえば忍者。 駅テツとしてはあまり イジってほしくないような気もするが、 まあいいじゃない面白くて。 |
跨線橋のようす。 鉄骨木造、でも窓はサッシ。 |
忍者、親切だね(笑) この2つ前に同じ忍者の里、 滋賀県・甲賀駅を取材したが、 そこはこんなもんじゃなかった。 負けてるぞ伊賀者(笑) いずれ紹介できれば。 |
2,3番線へ降りる跨線橋の階段。 甲賀の忍者が主君に忠実なのに対し、 伊賀の忍者はいわば傭兵で、 報酬さえもらえれば対峙する両軍へ 戦力を派遣したとのこと。 |
右が2番線亀山方面上り、 左3番線草津線草津方面。 |
2番線木津側の跨線橋下から 駅舎と亀山方向を撮影。 この先いわゆる「加太越え」で 蒸機の時代は補機を当駅で連結開放した。 その名残りの中線を間に挟む。 |
同じく2番線中ほどから木津方向。 亀山~当駅~加茂間は全列車が区間運転。 この間を利用する乗客は 関西本線全線で見た場合、 距離の違いもあるが加茂から西の約4% 亀山から東のわずか2%程度しかない。 そしてこの区間のみが非電化。 |
3番線は草津線ホーム。 関西鉄道のルーツとなる路線で、 官営鉄道が名古屋~京都間は 山越えを外して敷設されたのに対し、 旧東海道に沿って線路を敷いた。 |
3番線北側には留置線がある。 かつて加太越えの補機の機関庫を擁した 関西鉄道の要衝の駅だった名残りでもある。 |
2,3番線にある待合室。 なぜこんなに広いのか。 補機の機回しで停車時間も 長かったことだろうし、冬は雪も降る。 そんな理由からだろうか。 |
2,3番線ホーム端から木津方面。 この先にかつて機関庫があり、 さらに先に転車台があった。 転車台は今も朽ち果てて 草むらの中に残っている。 |
3番線から亀山方面。 鈴鹿山脈が立ちはだかり、 往時の機関士達の労苦が偲ばれる。 |
関西本線は日露戦役後の買収国有化以降、 名阪連絡の「裏通り」的な扱いで ワキ役に徹してきたが、 かつては気動車特急や 東京発の夜行急行も運行されていた。 いまや鉄道自体がワキ役。 しかし往年の主要駅の雰囲気を存分に残し、 頑固じじいのように今日もそこにある。 |
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