#1939 北品川(きたしながわ)駅 ・京浜急行電鉄 本線 品川|新馬場 |
【区分】甲 【撮影日】2017/7/8 【所在地】東京都品川区 |
【開業】1904(明治37)年 |
【乗車人員(日)】4,433人 【駅名変遷】品川(1925) |
1501-2000駅レビュー 第9位
<選定理由>
「品川駅の南にあるのに北品川。
都内京急線でいまや稀少の地上駅は
東海道品川宿の面影をかすかに残す。」
「品川駅の南にあるのに北品川。
都内京急線でいまや稀少の地上駅は
東海道品川宿の面影をかすかに残す。」
東京都品川区に所在。 京浜急行電鉄本線の駅。 東京23区内の駅の紹介はこれが初めて。 |
国道15号沿いにある小駅。 品川駅港南口の高層ビル群が間近に迫る。 しかし当駅周辺の旧品川宿にあたる地域は 昔ながらの雰囲気を辛うじて残している。 |
駅前の国道15号にかかる歩道橋から。 中央奥に品川プリンスが聳え立つ。 この先、新八ツ山橋でJRを越えると 山手通りと合流する。 右に見切れているのが当駅。 |
出入口、改札は国道15号側に1ヶ所。 一日の乗車人員は4,433人。 京急全72駅中、59位。都内では最少。 |
横浜方踏切から駅全景を撮影。 当駅は都内の京急本線で ただひとつ残った地上駅。 都内全線だと 空港線穴守稲荷駅のふたつとなる。 |
改札内から出入口を撮影。 隣のタバコ屋とを隔てる ブロック塀がイカす(笑) |
改札を抜けると二手に分かれ 階段がある。 向かいの階段は1番線と連絡する 跨線橋の脇に出る。 こちらは2番線直結でスロープつき。 |
逆側から。奥にトイレ。 繰り返すが、ブロック塀がイカす。 エアコンの室外機も(笑)。 |
ホームは2面2線の相対式。 大きくカーブを描く。 後述するが、駅の位置は 過去2回移動している。 こちら1番線羽田・横浜方面下り。 |
同じく1番線。 1904年、 京浜電気鉄道の起点駅として開業。 場所は現在地よりも 八ツ山橋に近接していた。 開業時の駅名は堂々「品川」。 品川にあるのだから当然である。 |
かわって2番線は上り品川方面。 横浜方ホーム端より品川方向。 そこそこ有名な話だが、現在の品川駅は 品川区ではなく、港区にある。 |
2番線品川方から横浜方向を撮影。 品川駅の南にあるのになぜか「北品川」、 というのもテツの薀蓄(うんちく)の 筆頭に挙げられるネタのひとつ。 |
2番線脇には 保線車両を留置する側線がある。 |
2番線ホーム端近くから品川方向。 踏切の先には八ツ山橋があり、 JRを越えて港区に入り、品川駅へいたる。 |
八ツ山の鉄橋を渡ってきた 都営地下鉄の車両とすれ違う。 大きくカーブする地点は 鉄道写真の名スポットだ。 |
上写真の場所から当駅方向。 この踏切を左に進むと、かつての 東海道五十三次の第一宿・品川宿へと入る。 この地点は品川宿江戸口と呼ばれ、 品川宿の北端となる。 当駅が「北品川」と名づけられた理由が ここにある。 |
2番線ホーム端から横浜方向。 踏切を渡るとすぐに高架となり、 再び地上に降りてくるのは 神奈川県に入った八丁畷駅付近となる。 いずれこの付近も高架となり、 品川駅は地下化されるという計画もある。 |
1947
USA-M698-44を加工)
紫点線が大雑把だが現在の路線となる。ピンク点線はこの当時のルートで、 国道15号との併用軌道線だった。 赤枠が当時の駅の位置で、 ホームが直線に近いのがわかる。 場所は2代目で、開業当初は 中央上の八ツ山橋のたもとにあったとのこと。 緑色の帯がのちに新八ツ山橋が架かる場所で、 1963年まで下る。 当駅付近が現在のルート、駅位置となったのは 1956年より。 |
2 件のコメント:
おっ、北品川が9位ですかっ!
品川駅から南へ下って最初の駅が
北品川って面白いですよねっ(笑)
八ツ山の鉄橋周辺は、
有名な写真スポットですが
やっぱり12両編成がクネクネする
姿は圧巻ですよね~★
個人的には旧600の12両編成の
シーンが感動しますっ!
今や600が消え、700が消え、
そして1000が消え、ついに
800・2000までもが消えそうです(涙)
あの頃の京急は本当に良かった!
三等兵様
いつもコメントありがとうございます。
昔の京急駅はみんなこんなだったなあ、と思いながら
記事を書いていました。
高架駅に改修する駅が多くなって、まあそれもいいんですが、
やはり「味」がしないな、と。
「がんばれ」の意味もこめて9位としました。
600の12連は見たことはなかったですね!
画像をググってみます。
ありがとうございました。
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